2010年03月24日(水)

『イエスは「わたしにさわったのは、だれですか」と言われた』ルカ8:45



この女性は12年もの間、出血が止まらない状態で、どんなに苦しみと辛さの中にあった事だろう。律法によると不浄であり、礼拝にも出れず、宗教的にも社会的にも疎外されていた。経済的にも治療に財産を使い果たし、ますます悪くなり無一文となり、これから先どうすればよいのか、何の希望もなく、心身限界で、ぼろぼろであったろう。

わらにもすがりたく、救いを求めていたに違いない。そんな時、主の噂を聞き、せめて主の着物にでも触れば必ず直ると信じた。ただただ必死であった。触った瞬間、血の源が枯れて、ひどい痛みが直った。誰にも知られずに、隠れていたかった。そっとその場を去りたかった。が、主がそこで「触ったのは誰か」と問われた。

群衆に紛れ潜んでいたが、隠しきれないと思い、恐れて震えて進み出た。「イエスの前に」出た。どんなに勇気の要った事だろう。「すべての民の前で」イエスに触った理由と、癒された次第を話した。すべての民の前で告白した。

自分を卑しめ、暗さの中に隠れ潜んでいたのが、主に導かれて、光の中へと入れられた。主は「あなたの信仰が」と信仰を認め「安心して行きなさい」と、もう恐れも不安も怯える事もない、全き安堵と平安と自由を下さった。心も癒し、全人格的救いを下さった。告白は、実は彼女自身のためであった。
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誰にも言えず苦しんでいる者をかえりみようと立ち止まって下さる主がおられる。罪を暴くのでなく温かくおおって下さる主に心の全てを語ろう。恥をおおい失意を包み、弱さを慰めるて下さる主に。