2010年04月23日(金)

「そのようなわけで、イエスは、ラザロが病んでいることを聞かれたときも、そのおられた所になお二日とどまられた」ヨハネ11:6


ラザロが病気になり、マリヤとマルタは使いを主のもとへ送った。こんな危急の時には、主はすぐに、取るものも取り敢えず、駆けつけて下さる。そして癒して下さるはずだと勝手に思い込む。しかし、そうではなかった。

早く!との思いに関わらず、主は、尚も2日動かれなかった。そして、ラザロの死後、立ち上がられた。私たちには、これが最善との思いがいつも潜む。どんな場合も自分の思いがあり、思い通りに物事が運ぶ事を願う。

自分が良いと思うことは神も良いと思われると、勝手に思いこむ。しかし、そうではない。しばしば、神のみ思いは、私たちの思いと異なる。「天が地よりも高いように」神のみ思いは、将来を、すべてを見通しておられ、遙かに高い。

自分の思い通りにならないと、ひがんだり、すねて、心を屈折させたり、消極的になるのでなく、神は更に良いことを備え、何かのご計画があることを信じて行くべきだ。神の極みまでの私たちへの愛を信じよう。主は病の癒しよりも更に大きな、よみがえらせるという計画を持っておられた。

物事が全く動かず、進まない時、主は本当に心に留めていて下さるのかと思う。忘れられている。置いておかれている。見捨てられている。しかし、主は更に大きなご計画をお持ちだ。病の治癒でなく、よみがえりの奇跡のように。主に間違いはない。信仰もって、続けて主を待ち望んでいよう。必ず、みわざを見る。
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病気が治れば良いと目先の心配を取り去って下さればと願うが、その祈りも聞いていて下さってなお、主はご自分のみ思いをされる。信じて待とう。一番良い時に主の栄光を拝せる喜びを信じよう。