2010年08月24日(火)

「イエスは彼に言われた。『よくなりたいか』」ヨハネ5:6



38年間、病に苦しむ男性に、主は「よくなりたいか」と不思議な質問をされた。普通、病気の人が、よくなりたいのは、当たり前ではないかと思う。しかし、男性は「はい、よくなりたいです」とは答えずに、自分がどうして直らないのかを、言い訳がましく告げた。

自分には介添人がいないから、助けてくれる人がいないから、ダメなのだと。38年は長い。余りに長すぎて、もう気力も失せ、諦めの心もあったかも知れない。しかし、この男性は、主との対話の中で、あるいはこの方が直してくれるのではと思い、主に信仰をもって応答したのだろう。癒されたという事は、信仰を
向けたはずだ。私たちの霊的生活はどうだろう。いつしか成長したいという思いが失せ、流されてしまって、もしや、諦めの気持ちや、気力が失せているだろう
か。

悪い習慣を止められない、生活が変わらない、愛せない、怒りを自制できない、怠惰に流されてしまう・・。デボーションもなかなかできない・・御心に従いたいという思いがなえてしまっているだろうか。しかし、今、目の前で主が「よくりたいか」と御声をかけて下さっている。「・・できるか」でなく「・・たいか」
だ。この男性は信仰を主に向けた。そして癒された。「主よ、よくなりたいです」と応答しよう。それを求めておられる。
-----------------
繰り返す失敗で、気力が失せてしまうが事を成して下さるのは主だ。よくなりたいところがあるはず。諦めの不信仰におちいらず、主によくなりたいですと明け渡していこう。失敗しても「よくなりたいです」と祈り続けよう。