2010年11月23日(火)

「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい」マタイ6:33



ある著者が「まだ世の中が動き出す前の、朝一番の静かな時を、少しの時間でもよいから、御言葉を読み、祈りに献げよ」と言っている。よく経験するところだが、あれを、これをしてから聖書を読もうとすると、この世の様々な対応で、思いが巡る。祈りに集中できず、御言葉が入って来ない。そして、次々と、なすべき事が浮かび、又、目の前にやって来て、引っ張られて行くと。

これを済ませて聖書を読もうと思うが、次々となすべき事が目の前に来る。背後でサタンが働いている。とにかくデボーションをさせたくなくて、サタンも必死だ。サタンに聞いて行くと、祈りの時が後回し、後回しになり、結局1日持てないまま終わってしまう。朝一番に、5分でもよいから始めてみよう。良い習慣が
培われて行く。

又、もし朝に持てなかった場合、今度は決して落ち込むのでなく、神の変わらない愛を覚えよう。持てなくても愛していて下さる。そこにもサタンが来る。そして、生活の優先順位はどうだろう。日々を振り返ってみよう。優先順位が狂うと、秩序が狂い、全体がギクシャクして来る。生活に実が結べない。喜びと平安が失
せ、何か心が満たされない。今一度、「神第一」に立て直す必要があるだろうか。「神第一」は祝福であり、霊的、物質的すべての必要が満たされる。
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朝一番にデボーションをのんびりと出来る日は、いつまで待っても来ないと思おう。まず第一にと、求めなければ引っ張られ流されてしまう。聖書を開き神様と交わる時を守ろう。落ち着いた豊かな一日がそこから与えられる。