2010年12月24日(金)

「あなたのおことばどおりこの身になりますように」ルカ1:38  

  
マリヤはナザレの田舎で暮らすごく平凡な女性だった。ヨセフと婚約中で大きな喜びの中にいた。結婚の夢を描いていただろう。突然の事態に「どうしてそんなことに・・」マリヤは、なぜ自分なのかと大きな戸惑い、恐れ、不安に襲われる。
これはマリヤが望んだ事でも、選んだ事でもない。神が一方的にマリヤを選ばれたのだ。

ヨセフはどうなるのか。聖霊によりみごもるなど、そんな唐突な事を誰が信じられるだろう。結婚は壊れてしまうだろう。人はどう思うだろう。それより姦淫は死刑だ。お言葉通りになるとは、死を意味する事になる。周囲に自己弁護も出来ない立場をマリヤは受け入れ、覚悟を決め、決意し、神に身を差し出した。
その身を献げきった。

私達はどうだろう。主のお言葉通りにではなく、私の言葉の通りにとばかりに、神に「ああして下さい、こうして下さい、あっちへ行って下さい、こっちへ来て下さい」とまるで主をしもべのようにしてしまう。しかし、「この身になりますように」と、自分の思いを捨て、自分の将来も献げ、自分を全く明け渡したのは、
マリヤの信仰だ。

今、あなたにも導きが臨んでいるだろうか。マリヤと同様、神はあなたを選び、あなたにより神のわざを成そうとしておられる。特別にあなたを選ばれた。この身になりますようにと、信仰によりお献げしよう。
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あれが出来てから、もう少し状態が整ってからと思うが御霊の促し、導きが一番価値のあるものだ。おことばどおりにこの身になりますようにと、主に自分自身を明け渡し、信仰を持って素直に献げよう。