2011年03月24日(木)

「しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません」ガラテヤ5:18


御霊に導かれて、御霊の支配の中で生きる時、私たちは自由で、嬉しく、感謝がある。しかし、律法のもとで、肉に従って生きるなら、非常に辛く窮屈になる。しんどいばかりで苦しい。心に自由がなく、喜びがなく、心が重くふさがれて辛い。あの一タラントのしもべのように、常に神に要求されているように感じる。

神がひどい、恐い方で、蒔かないところから刈り取る厳しい方になってしまう。クルシミチャンだ。そこに感動も喜びも無い。今、あなたはどうだろう。しんどい信仰生活だろうか。辛くしんどいなら、御霊によく心探って頂こう。自分の力で頑張っているかも知れない。妬みや敵対心、怒りが湧き上がる時、これは良く
ない事と、自力で抑え込んでしまうだろうか。

抑え込んだものは、無くなるのでなく、ずっとそこにある。押し込んでいるだけだ。膿になりただれる。そしていつか爆発する。この時に、抑え込むのでなく「私は怒っています、妬んで、憎んでいます。」と一つ一つ、誰にも言えない思いを、主に告げる事が大切だ。隠さず、言い訳せず、ごまかさず、主の御前に言
い表して行くことだ。

そうすると、御霊は悔い改めに導き、心をきよめて、平安にして下さる。絶えず主を呼び、言い表わし、主を求めて行く時、その嫌な思いが消えて行く。思いが来た時、「主よ」と主を呼び求めよう。
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「出来ません、助けてください」と叫んで行くと出来ない自分の内に神様が働いて下さる。自分で出来ないその壁を御前に認め、祈り求める時に自由な御霊の導きの下に置かれ、安んじておれる。それを経験していこう。