2011年06月23日(木)

「というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に栄光がとこしえにありますように」ローマ11:36


    
「神から」発する事が重要だ。神から発するなら、神によって成り、神に至る。そして、神に栄光が帰される。しかし、もし「人から」発するなら、人によって成り、人に至る。神に至る事は決して無く、神に栄光が帰される事もない。目の前の計画は、神の御心により始まったのか、それとも、人の思いで始まったのかは重要だ。人の思い、肉の計画なら神に至る事も、神に栄光を帰される事も無い。

源が神であれば、そのプロセスも神、目的地も神だ。「だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか」私達がまず神に何かを与えて、神から受けるという事はあり得ない。まず私達が何かしたからという事には、いっさいよらない。「すべてのことが神から発し」とあるように、「自分が」祈ったから、事が成ったのではない。自分の功績にはよらない。そうであれば、自分から発し、自分によって成り、自分に栄光が帰される事になる。

そうではなく、どこまでも「神から」発したみこころに、自分の願望や思いを沿わせて行き、自分を変えて行く、それがみこころに沿った祈りだ。人からのものは、成就する事がない。神から発しているかどうかが、非常に大切であり、そうであれば、必ず神ご自身が成就される。
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全ては神から発し、神によって成るのだから、祈りの中で高ぶりや「自分が」の思いを知り捨てていこう。謙遜に神様から与えられる御霊の養分を今日もたっぷり受けとり歩もう。