2011年09月23日(金)

「この女は自分にできることをしたのです」マルコ14:8


マリヤは香油を、主の頭に注いだ。その香油は300デナリで、1デナリが労働者1日分の給料であり、10ヶ月分だ。大変高価な物であった。すると弟子達は、貧しい人々に施せたのにとマリヤを非難し憤慨した。しかし、主は、マリヤのその行為の意味をわかっておられた。「わたしのために、りっぱなことをしてくれた」埋葬の準備にと前もって油を塗った。それが、主に油を塗ることの出来る最後の時であった。

その後、主は十字架へと向かわれた。そして、週の初めの日の明け方、主のご遺体に香料を塗るために、何人かの女性が墓に行ったが、もう主は復活されて、誰も塗ることができなかった。まさにマリヤが塗ったナルドの香油が最後だった。それはどんなに主をお慰めした事だろう。マリヤは結婚の準備でもある大切な香油は無くしてしまったが、その犠牲の大きな分、心が主に向かった。

主によって心満たされ、後悔の無いすがすがしい確信が深められた。献げる事の意味を知り、祝福を味わい、生涯主に献げて生きた。「時と機会」を逃してはならない。マリヤはなぜその「時」が的確にわかったのか。御言葉に耳を澄ましていたからだ。私たちも主をお喜ばせするために、御心を知るためにも、日々御言葉に耳を傾ける事がどうしても必要だ。耳を澄ますなら、主の御声が聞こえて来る。そして、自分に出来る事をする機会を知る。
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時と機会を取り逃がしてしまわないよう、御言葉に聞き、今なすべきことを教えて下さいの態度で一日をはじめたい。自分に出来ること主の喜ばれる道を御霊様が必ず今日も導いて下さる。