2011年10月24日(月)

「もし、罪は無いと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません」Tヨハネ1:8



私たちには、人を裁く誘惑が、しょっ中くる。あなたはどうだろう。相手との間がうまく行かない時、問題が生じたり、ぎくしゃくした時に、相手に対するその思いを、どうするだろう。こんな思いを持ってはいけない、こんな事を思うなどクリスチャンにあるまじき事と、その思いを心の奥に押し込めるだろうか。そして、抑えているのだから、相手を攻撃したり、爆発させないのだから、むしろ自分は良い者だと思っているかも知れない。

そのように抑え込んで行く時に、自分の本当の姿がわからなくなる。心の奧に押し込めて、表面上は、うまく繕うので、自分には何の問題も無いと、自分にごまかされてしまう。しかし実際は心の奧に、裁き、憎しみ、恨み、怒りが厳然と存在する。それらの気持ちを抑え込まないで、まず人にではなく、主にことごとく告げる事が大切だ。装う事をせず、そんな思いなど無い、良い人の振りもせず、心の思いをそのまま告げる。

「怒ってます」「恨んでます」「腹が立ちます」ありのまま、主に申し上げる時に、自分の思いを自分で知る。自分がどう思い、どう感じているのかを、自分ではっきりと認識できる。そのまま認めて告白して行く時、その罪は赦される。抑え込まずにことごとく、主に思いも、感情も告げて行こう。
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クリスチャンになったからといって自動的に良い人、問題のない人に成るわけではない。直面する自分の苦い思いをすぐに主に告げ知って頂こう。自分の罪に警戒しいつも主の前に認めておれることがクリスチャンの幸いだ。