2012年01月24日(火)

「良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちです」マルコ4:20


種は御言葉で、土地は私たちの心だ。全く同じ神の言葉を聞いて、豊かに実を実らせる人々と、益を受けない人々がいる。心の問題だと御言葉は言う。私たちの心の態度はどうだろう。御言葉を聞く事は好きで、拒否する気は全く無いので、自分は御言葉をよく聞いていると思っている。幾らでも聞くが、右から左に、たいして心に留めないで、傍観者的に聞く。自分の事として聞かず、他人事なので心に刺さる事もなく、悔い改めに至る事がない。

その時、悪魔が種を奪って行くので、何も聞かなかったのと同じになる。心に何の痕跡も残さない。又、岩地に落ちるとは、感情的に深く感動し涙を流して聞く。しかし、心の中には、強固な自我という岩が存在し、それが邪魔をするので、根ざして行けない。それで、迫害や試練が来ると枯れてしまう。御言葉を涙して聞くだけでは、根ざす事ができない。

いばらは、御言葉を塞ぐ。せっかく伸びようとする芽を、塞いで枯らす。世の楽しみ、富への執着は、せっかく芽生えた信仰を塞ぐ。成長させない。心にしっかり握っているもの、心で愛する偶像は、神から私たちを離してしまう。自分は大丈夫と思っているが、いつしか一番大切なものを見失って行く。

信仰を保ちたければ、自らの状態をよく点検する事は大切だ。聞いた御声に従おう。主の愛から出ている御声だ。その時、必ず実を結んで行く。信仰生活で「実を結」んでいるなら、御言葉を正しく聞いたという事になる。
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自分の心の状態はどうだろう。御言葉の芽が成長し実を結ぶのを妨げているものは何だろう。聞いた御言葉を素直に自分の生活に適応させて行こう。従おうとするから、結実を妨げるものもまた見え、祈れる。