2012年02月22日(水)

「ダビデはナタンに言った。『私は主に対して罪を犯した』ナタンはダビデに言った。『主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない』」Uサムエル12:13

                  
 
ダビデは王であり、最高権力者であった。ダビデの罪をあからさまに責める預言者ナタンを、即、打ち首にする事もできた。ウリヤを殺害したように。しかし、ダビデはそのような事をしなかった。ダビデは、神のことばの下にへりくだった。だから自分の罪を認めた。

「自分のそむきの罪を隠す者は成功しない。それを告白して、それを捨てる者はあわれみを受ける」。預言者ナタンによる、神のことばは、ダビデの内面を、本当の姿を映し出した。ダビデは、隠しおおしていた罪が明らかにされた。その時に、アダムやエバのように、バテシバのせいにしなかった。責任転嫁をせず、言い逃れをせず自らの罪を認めた。その時に、神のあわれみを受け、赦しが臨んだ。

私たちも、御ことばに向かう時に初めて、自分の本当の姿が見せられる。御ことばは鏡であり、自らの姿を映し出してくれる。私たちも、なかなか自分の醜さ、汚れ、罪を認めたくない。状況が、人がどうのと、言い訳する。「疲れていたから」「相手が悪いから」と自分の非を認めない。

様々な理由をつけて、正当化している自分の姿を見せられる。ダビデは罪を認め、心から悔い改めた。砕かれ、へりくだった心を持って、自ら蒔いたものの刈り取りをも受け入れ、その後の生涯を歩んだ。
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罪を犯したら真っ直ぐに神のもとに行き、悔い改めて赦していただこう。言い訳や責任転嫁をしても、神からの赦しを受けなければ決して心の痛みは消えない。真の赦しを受けダビデのようにそこからまた歩み出そう。