2012年03月24日(土)

「・・私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇 りましょう」Uコリント12:9

 

パウロは肉体のとげを取り除いて欲しいと、主に願った。これさえ無ければ、も
っと働けるのにと。しかし、主の答えは「ノー」だった。「わたしの恵みは、あ
なたに十分」と。その弱さの内に、神の力が現れると。私たちはどうだろう。

「弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難」が来た時にどうだろう。最初はとにかく排除
を願うかも知れない。それが前進を阻むものであり、辛い、嫌なものであり、苦
しめられるものであり、かせであるから除いて欲しい。自由にされたい、解放さ
れたい、逃れたいと思う。受け入れることが難しい。

一人〃形は違うが、目の前に置かれている。しかし、まさにそれこそが、自分を
へりくだらせるものだ。自らの砕きのためのものだ。パウロは、主の御声を聞い
たので、異なった受け止め方ができた。切に排除して欲しいものが、「大いに喜
んで弱さを誇る」と言えた。

そして「キリストのために、弱さ、侮辱・・に甘んじている」と言った。その中に
いる事を喜べて、受け入れる事ができた。その所こそが、主の力がおおう場であ
り、喜びと平安の場所、強められる場所、聖霊の喜びが湧く泉であることを知ら
されたからだ。

排除したいとげが、実は私たちをへりくだらせるものであり、主からの恵みだ。
それによって高慢から守られ、主の力におおわれる恵みを体験する。

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この世では、強さが善で、弱さは悪との価値観だ。弱さを誇れば良いのだが、し
かし問題は、自分自身も根は同じ価値観で、強くありたいので、弱さを受け入れ
られないところにある。受け入れられないと、正直な気持ちを主に告げて行こう。
前に進んで行けて、必ず喜びにまで至らせて下さる。