2012年04月23日(月)

「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」ヨブ1:21


ヨブは、ある日突然、若い者たちと家畜が襲われ、又、火事で死に、次には子供達全員が大風による家の倒壊で死んだ。子供達もしもべ達も財産も、何もかも一時に失った。その時、ヨブは上着を引き裂き、頭をそり、地にひれ伏し礼拝して、「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」と言った。

このところで、ある人が、自分は「主は与え」だけの信仰スタンスであり、とにかくもらう事、祝福を得ることだけしか考えておらず、「主は取られる」ということの発想も、受け入れ態勢も無いことに思いが至ったと。ヨブは、普段からその姿勢があったからこそ、この言葉がとっさに言えた。

ある人は、自転車が盗難に会った時に、ヨブに思いを巡らした。盗まれた事はショックであり、不便で困る事態であり、愛着もあり心痛いマイナスの出来事だ。しかし、「主は取られる」、主の御手の内の事であり、それを通して、所有物に対する自分の思いはどうなのかと、深く考えさせられた。そして、自分が執着しているものは何なのか、絶対に手放せなくて、主以上に大切になっているものは、心の偶像は・・、と心を探られた。

痛いが、「主は取られる」事を通して、様々な霊的な恵みへと導かれる。握りしめているものに気づかせ、真の平安、喜び、自由へと導いて下さる。
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主は取られまた主は苦しみも与えられるが、主と苦しみを共にし、マイナスの中でしかわかり得なかった多くの恵みを知る。主が取られる時も、主の御名はほむべきかな。