2012年07月24日(火)

「根を張らないで、しばらく続くだけです。それで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます」マルコ4:17


「御言葉を聞くと、すぐに喜んで受ける」そして、従おうとするが続かないで、つまずいてしまうとある。今の私たちには、偶像の強い地域で、のけ者にされる事はあるかも知れないが、初代教会のように、即、投獄や身の危険、命にかかわるというような迫害はない。しかし、御言葉に従って行く上の困難は経験する。

「これからは家族や隣人を愛して行こう」「証しのために熱心に仕事をして行きたい」「嘘はつかないでいたい」「怠惰な生活を止めて勤勉になりたい」「すぐに怒るので、自制したい」・・様々な決心をして、信仰生活を始める。しかし、薄い土の下に、強固な岩である自我がある。岩のために根が下へ張って行けない。

自我が邪魔をして、御言葉を行なう事ができない。つまずいてしまうとは、行なう事は無理と、主に従う事を止めてしまうことだ。主の助けを信頼して、従おうとするのではなく、困難があれば、途中で止めてしまう。自我が勝ってしまう。岩にぶち当たって、根が、根差せずに枯れてしまう。

そうではなく「主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられる」ことが主の御心だ。従う事を止めるのでなく、「できません。助けて下さい」と、一つ一つ目の前の事柄について、主に拠り頼んで行く時、御霊の助けがある。そして、自我が砕かれながら「善行のうちに実を結ぶ」者とされる。一歩一歩従う時、実を結ぶ人生にされる。
-----------
根を張る力がない弱さをしっかりと認めて、あきらめず主に頼り、結実の喜びを味わおう。御霊の助けの経験や、硬い岩が砕かれて行くことを楽しみに、聞いた御言葉を受け入れ守ろう。