2012年10月24日(水)

「助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え・・」ヨハネ14:26


様々な人から「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした」との証しを耳にする。あの苦しみゆえに、神に真に向き合えた、砕かれ、虚飾をはぎ取られた。余裕がある間は、自分をガードし、装い、繕っているが、試練により何もかもはぎ取られ、自分の本当の姿を自分が知れた。

ある婦人は、嫁ぎ先で、ずっと良い妻、良い嫁を保とうとし、懸命に家事をこなした。姑にも精一杯仕えた。しかし、外側はうまく繕っていたが、本当は同居が嫌でたまらなかった。それが本当の自分であった。日常生活の中で、行き違いがあり、段々どうにも出来ず、苦しさ募り、主の御前に祈った。そんな時、丁度、仕事の関係で、姑とは別に暮らす事になった。

しかし、心は重く複雑で、御前にありのままの気持を広げ、祈り続けた。その中で、光のごとく御霊に示された。姑にずっと好かれていないと感じ、受け入れてもらえないと思い、辛く思っていた。しかし、そうではなく、実は心を閉ざしていたのは、自分のほうであったと。自分が姑を決して受け入れてはいなかったのだと。自分の姿を見せられ、自分の頑なさを、主に悔い改めた。心がすっきり晴れた。その頑なさは、姑との関係以前に、主との関係を曇らせる事になっていたと気づかされた。
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御霊によって目の前の一つ一つの選択を主の喜ばれる方へと導かれる。私達の内が曇っていたらその導きはぼやけてしまう。御霊の導きがどこにあるかいつも祈り従いたい。