2013年03月24日(日)

「・・しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。 なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至 る食物のために働きなさい」ヨハネ6:24

     
            
主は、五つのパンと2匹の魚で、人々を満腹させるという奇跡をさ
れた。その後、人々は主を捜し求めて、カペナウムまで来た。主は
あなたがたが、わたしを捜しているのは、信仰を持ったからではな
く、自分たちのお腹が満たされたからだと言われた。

それならパンを食べても又、お腹はすくので、飽き足らずに、次々
とずっと、奇跡を求め続けることになる。人々が主に求めているも
のは、病気のいやし、パンを貰えること、目の前の問題の解決、そ
んな目先の利益だった。

しかし、病気は癒されても、また病気になる。問題が解決されても、
また次の問題が来る。パンを与えられても、またお腹はすく。その
時には、必要が満たされても、時間がたてば消えてしまう。一時的
なものだ。

しかし、唯一朽ちないものがあり、それこそが、主が与えて下さる
食物だと。主は、「朽ちるものではなく、永遠のいのちに至る食物
を与える」と言われた。主は霊的なものを求めて生きることを願わ
れた。

「わたしがいのちのパンであり、わたしを信じるなら、決して飢え
ることも渇くこともない」と。主こそがいのちのパンであり、信仰
持って生きる時に、消えることのない喜び、平安、満足が与えられ
ると。その主を信頼する時、必ず目に見える生活の必要も満たして
下さる。
・・・・・・・・・・・・
何を求めて、主のもとへ来ているのか、心探られる。パンをもらえ
て満足するからだろうか。晴れの日も、雨の日も、好都合な時も、
不都合な時も、喜びの時も苦しみの時も、主を信じて生きて行く信
仰を与えられたい。