2013年08月24日(土) 「ペテロはイエスに言った。『決して私の足をお洗いにならないで ください』・・『もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の 関係もありません』」ヨハネ13:8
「ペテロはイエスに言った。『決して私の足をお洗いにならないで ください』・・『もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の 関係もありません』」ヨハネ13:8
主は夕食の席から立ち上がって、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。 そして、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰の手ぬぐい で、ふき始められた。ペテロの番になった時、ペテロはそれを拒否 した。「決して私の足を洗わないで下さい」と。 当時、道路に舗装はなく、サンダルのような履き物だったので、足 はほこりで汚れきった。ペテロには、自分の師に、ほこりまみれの 自分の汚い足を洗ってもらうなど、畏れ多い、とんでもない事であ った。 しかし、そのほこりまみれの、汚れた足とは、誰にも見せたくない、 知られたくない、自分の中の一番醜い、汚い部分、隠しておきたい 部分の事だ。あなたにもあるだろうか。醜い、自己中心な自分だ。 この世の師弟関係は、上下関係であり、師に徹底して仕え、師から 学び、習得し、身につけて、師から認めてもらう関係だ。しかし、 主との関係は全く違う。主に、自分の最も醜い汚れた部分を差し出 すなら、洗って下さる。そして、きれいにされる。完全に赦される、 もし、汚い部分を隠すなら、又、洗って頂くことを拒否するなら、 そのままだ。洗って頂く度に、主との関係がどんどん深められて行 く。心の一番の奥底の汚れを、主に洗って頂く事を拒否していない だろうか。 もし洗わなければ、あなたはわたしの何の関係も無いと言われる。 主は日々の汚れを洗い、洗い続けて下さる。主に洗って頂こう ・・・・・・・・・・・・ 日々に罪を犯してしまう。足が汚れる。しかし、何度も何度も、 繰り返し〃洗い続けて下さる。畏れ多いと思うが、洗わないなら何 の関係も無いと言って下さる。汚れを、醜さを差し出し、主に洗 っていただこう。赦されて〃生きるとは何という恵みだろう。