2013年12月24日(火)

「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」ルカ23:34




あなたには、赦せない人がいるだろうか。平常は、目の前の事で忘れているが、何かの時に、フラッシュバックして、その時の恨みが思い起こされ、怒りが湧き上がる。それなら、昔の事であるに関わらず、今もその人にコントロールされ、影響受けている事になる。ずっと囚われ、拘束されている事になる。

真に心解き放たれ、自由にされ、喜びと平安に満たされたいなら、どのような事情があるとしても、その人を赦すことだ。赦すのは、相手のためではなく、自分自身のためだ。牢獄から出る事ができる。ある人が、どうしても赦せない人がいて、ずっと心が辛く、苦しくてたまらなかった。その人の事を考えると、思い出すと、心が暗くなり、重く苦しくなる。どんなに楽しい時にも、影を落とした。

自由になりたくて、赦そうとするが、赦せない。もう瀬戸際に来て、どうにもならず「赦せない私を、赦して下さい」と祈って、主に自分自身を明け渡した。すると、奇跡が起きて、赦すことができた。心に平安と喜びが満ちた。

主は十字架で死ぬために、生まれて下さった。そして、十字架上で、私たちの赦しを祈って下さった。その赦しがあるので、赦しを受け取る事ができる。自分で赦すことはできない。主に明け渡して行く時に、主が働いて、みわざをして下さる。赦せない自分が赦されるとは、何という恵みだろう。
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なぜ赦せないのかを腹立たしさが襲ってくる度に主に告げてみよう。赦されているのに赦せない私、その弱さに主は必ず応えて下さる。あなたの罪は赦された、その印の十字架を日々知って行きたい。