2014年03月24日(月)

「まず、自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます」マタイ7:5



嫌な相手がいる時、自分の思いで相手を見ていないだろうか。皆、それぞれ自分の物差しがある。自分のメガネがあり、それが梁だ。「自分の物差し」というメガネをかけて見るので、相手が歪んで見える。まっすぐにありのままに見る事が出来ない。だが、自分ではわからない。その歪んだ物差し同士がぶつかると、問題が生じるのは明かだ。

問題が起きた時に、自分の物差しは無いか、自分に偏見は無いか、自分の目は歪んでいないか。よく祈ってみよう。自分ではわからないので、へりくだって祈り求める時、御霊は気づきを与えて下さる。“自分は正しい、自分は間違っていない”に立つと、それが梁となり、全く見えなくなる。相手の目から、ちりを除く作業などは、御霊に導かれない限り、不可能だ。

敏感で且つデリケイトな目は、ちょっと触れられてもすぐ閉じる。心も土足で入ろうとするなら、途端に固く閉じてしまう。まず御霊により、自分の自己義、独善、偏見の梁が除かれて、自分もしょっ中、間違う者であり、失敗する者である事をわきまえて、御霊に導かれる時に、はっきり見えて、相手のちりを除くために、主により用いられる。

相手のちりを取り除くことができる。梁がある自分の目には、相手が見えていない。まず自分の梁に気づかされ、自分の梁を取り除けることから始めよう。その時、兄弟の目からも、ちりを除くことができる。
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相手を見ている自分の目はどうだろう。一面だけを見て裁く自分の偏見や歪みに気づいているだろうか。人の欠点が目についてしまう時、無責任な裁きではないかよく祈りたい。