2014年07月24日(木) 「その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える」詩篇1:3
「その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える」詩篇1:3
詩篇記者は、本当の喜び、本当の平安、幸せを教えている。それは 「主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさ」んで生き て行く人だ。いつも御言葉から離れず、御言葉に親しみ、御言葉を 喜びとし、その御言葉を口ずさみ、思い巡らし、反すうして、生き て行くことだ。 勿論、御言葉を読むだけ、聞くだけでなく、語られた御言葉に一つ 一つ従うことが大切だ。そんな人は、真に幸せな人だと。それは、 水路のそばに植わった木のようで、絶えることなく水分が豊かに供 給されるので、その木は生き生きとし、葉は青々と繁り、水分にこ と欠くことがないので、葉は枯れない。御言葉を喜び、絶えず思い 巡らす人=水路に植わった木だ。 そして、「何をしても栄える」と。何をしても栄えるとは、単に商 売繁盛やサクセス人生ということでなく、むしろ信仰ゆえに、経済 的にギリギリの生活になるかも知れない。又、病気やけがをしない という事ではない。ある時はリストラや、経済的困窮や、健康上の 問題や、対人関係の悩みを通るかも知れない。 主は私たちの益のために、信仰の成長のために、試練を通される。 しかし、その人は、試練も含め、すべてを通して、栄える。試練を 通して神の栄光を現して行く。何と幸せなことだろう。どんな状況 の中でも、主のおしえを喜びとし、思い巡らし、生きて行くなら、 神の時に実を結び続けて行く。 -------------- 実が豊かな水を受けた結果であれば、実より、水路に留まり続ける ことに目を向けていたい。祈れない時、喜べない時もあるが御言葉 はなんと言っているだろうと御言葉を開き、また思い巡らすことで 知らず知らず豊かな養いを受け続けている。