2014年11月23日(日) 「彼らはまだパンのことから悟るところがなく、その心は堅く閉じ ていたからである」マルコ6:52
「彼らはまだパンのことから悟るところがなく、その心は堅く閉じ ていたからである」マルコ6:52
湖上を歩いて、弟子たちのもとに来られた主を「幽霊だと思い、叫 び声をあげた」「みなイエスを見ておびえてしまった」なぜ、主が 幽霊だと思ったのだろう。「その心は堅く閉じていたからである」 とある。心が閉じていたので、主を見ても、主だとわからなかった。 心の問題であった。 なぜなら、まず、主が湖の上を歩くなどと、発想も考えもなかった。 「彼らの心中の驚きは非常なものであった」なぜ主が湖上を歩くは ずがないと思ったのか。弟子たちは、主は偉い立派な先生だが、人 間だとしか思っていなかった。「パンのことから悟るところがな く」すぐ前にあった五千人の給食の出来事だ。その奇跡から何 を悟るべきだったのか。 主が人となられた神であるということだった。しかし主が神だとは 理解できなかった。主を正しく認識していなければ、間違って認識 していれば、助けを受けられない。助けようと来て下さっても、受 け入れる事ができない。そんな事ができると思わないからだ。不信 仰は、信仰の力を削いでしまう。 主は罪を赦すと言われる。主にはそれが出来ると、そのまま信じる なら、失敗しても悔い改める時に、今一度喜びと平安で満たされる。 だがもし信じなければ、恐れと不安と思い煩いの暗闇の中だ。 心が閉じているだろうか。今日も共に歩み、愛し、御声をかけ、助 けようとして下さっている主に、心を開いて行くことが大切だ。 ・・・・・・・・・・・・ 主は、万物の支配者であり、自然界をも支配され、全主権を持って おられる。「たじろぐな。わたしがあなたの神だから」と言われる。 人にはできないが、神にはどんなことでもできる。その信仰に立て るよう祈ろう。全能の主が共におられる。