2014年12月23日(火)

「・・その名はインマヌエルと呼ばれる」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である)」マタイ1:23



御使いが、すばらしい喜びの知らせ、「あなたがたのために救い主
が生まれた」と伝えた。信仰生活の中で、どういう事が救いなのだ
ろう。病気が治ることだろうか。どんな病気でも癒されることだろ
うか。それは確かに救われることであり、感謝なことだ。

しかし、現実生活で、病気は次から次へとやって来るし、又、すべ
ての病気が完全に治るわけでもないことも知っている。パウロも、
願いにかかわらず、とげは取り去られなかった。経済的困窮の中で、
必要が満たされることも救いだ。しかし、パウロは豊かさと同様に、
貧しさの中にいる道も知っていた。御心なら貧しさも通される。

自分の思い通りでない、苦しい状況はどうだろう。状況が無くなる
ことが救いなのだろうか。ある人は、親が病で倒れ、障がいが残っ
た。体調も悪く、弱った姿に、以前とは全くの別人に感じた。自分
にとって、非常に強い存在だった。ショックを受け、どうして良い
かもわからなかった。何も出来ることが無いように思えた。ひたす
ら主に気持ちをあるがまま打ち明け、祈りに祈った。

祈り続ける中で、良くなろうと、このままであろうと、何もかもが
愛なる主の御手の中にあり、どうであれ、最善がなされると平安に
満たされた。どんな時も、どんな状況の中でも「インマヌエル」主
が私たちと共におられる、それが真の救いだ。
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叶えられたいと願うが祈っても思い通りにはならない。けれどどん
な中であれ、主は最善の道を通され益であると知っている。主がい
つも共におられるとは何と幸いなことだろう。