2015年02月21日(土)

「このとき、ヨブは立ち上がり、その上着を引き裂き、頭をそり、 地にひれ伏して礼拝し・・」ヨブ1:20 


ある日突然、ヨブは子供たち全員を失い、家財や家畜、しもべたち、
何もかもを失った。そして、ヨブ自身も、足の裏から頭の頂まで、
悪性の腫物でおおわれ、極度の痛みに苦しんだ。しかし、「主は与
え、主は取られる」と、ヨブはそれらを神から来たものと受け止め
た。

「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり・・」とあるように、
神の思いは、私たちの思いと大きく異なる。ある時は、私たちには
到底理解できない。「どうしてこのような事が?」「なぜ私に?」
納得が行かない。しかし、神は、時に、このような極めて厳しい試
練を送られる。

それは、私たちがたとえ理解できなくても、神を信頼して従って行
く者と変えられ、成長させられるためだ。しばしば、クリスチャン
もご利益信仰になってしまう。自分軸になり、どうしても自分を中
心に物事を見てしまう。そのため自分が理解でき、納得できる範囲
でしか、信じようとしない。自分が納得できるなら、信じるが、そ
うでないなら信じない。

神を、自分の理解できる範囲に引き下げてしまう事になる。理解で
きない状況の中で初めて、信仰が試され、練られ、しかし「神は愛
であり」「最善をされ」「ご計画があり」「益とされる」と、信じ
る者と変えられて行く。主がそのように成長させて下さる。今は自
分に理解はできないが、しかし、主を信頼する者とされるならどん
なに良いだろう。

・・・・・・・・・・・
生まれつきの古い性質があり、すぐ自分軸になってしまう。思考が
神中心でなく、自分中心に陥ってしまう。そこから落ち込みや、不
満、思い煩い、不信仰が生じる。自分軸に気づける時に、平安と喜
びが戻る。