2015年03月24日(火)

「私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである」Uテモテ2:13





ヤコブは、兄エサウから長子の権利を奪い、父からの祝福をも奪い
取った。父も兄も欺いた。兄は激怒し、家におれなくなった。家を
出て、伯父ラバンのもとへの途上、野宿し、石を枕に横になった。
その時に、主がヤコブのかたわらに立たれ、驚くべき事を語られた

「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わ
たしは・・この地を、あなたとあなたの子孫とに与える。あなたの
子孫は地のちりのように多くなり・・地上のすべての民族は、あな
たとあなたの子孫によって祝福される。見よ。わたしはあなたとと
もにあり・・あなたをこの地に連れ戻そう」と。

何という壮大な祝福だろう。自分の利得のために、人をだまし、押
しのけ、自己中心に生きて、孤独で、寂しく、惨めな状況になった
ヤコブ。そのヤコブに、主は驚くべく恵み深く、尚も将来も大きな
祝福を備えていると。これは主の一方的な恵みであり、主権であり、
私たちにも同様だ。

私たちがどんなに自己中心で、自分の利得を求め、ひどい者であっ
ても、そんな事はすべてわかった上で、愛して下さっている。受け
止められた上での愛だ。だから、主の前で良い人の振りをして、取
り繕う事も、本当の自分を隠す事も無い。心の内の醜さも、何もか
も知って、愛して下さっている。

そして私たちの人生を大いに祝福し、喜びに満ちたものにしようと
して下さっている。この主のご愛を「有難うございます」と受け取
ろう。主の愛を堅く信じて、何があっても、そこから動かずに歩む
時、目に見える光景が違って来る。
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私たちの罪深さを忍耐しその上で十字架にかかられた主の一方的な
大きなご愛の前に、自分の弱さばかり見て、止まっている場合では
ないと励まされる。主の愛をみあげて進もう。