2015年04月23日(木)

「わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます」マタイ7:24




私たちが、知っておかなければならないのは、人生に試練は必ず
あって、苦しみのない人生はないという事だ。クリスチャンになれ
ば、悪いことはいっさい起こらず、畑は豊作、受験は合格、病気や
けがは無く、人生は順風満帆だとは、御言葉に記されていない。
むしろ試練が必ずあると記されている。しかし、どのような嵐に会
おうとも、土台があれば、決して倒れることがないと。


ここでは、聞いた御言葉を「行なう」事が岩の上に家を建てること
だと言っている。反対に、聞いた御言葉を行わないなら、砂の上に
家を建てることになり、風雨に会うと倒れてしまうと。御言葉を聞
くところまでは、両者共に同じだ。どちらも御言葉を聞いている。
その後が問題だ。聞いた御言葉を行なうか、行なわないかで、結果
が天と地ほどに違って来る。

嵐に会った時に、御言葉を行なうなら、そこに確かな岩がある事を
経験する。岩により支えられ、拠って立つ事ができて、慰めと励ま
しを得る。しかし、御言葉を行なわないなら、砂のごとく崩れてし
まう。初心者が、楽譜さえ見ていたら、ピアノが弾けるようになる
という事はない。楽譜通りに、実際に指を使って練習する事が必要
だ。それを重ねる事で、身について、弾けるようになる。

御言葉を聞くだけなら、結実がなく、砂の上に人生を築くことにな
ると言っている。聞いた御言葉を行なって行く時に、初めて自分自
身が変えられて行き、確かな実を結んで行く。その時、どんな嵐に
も立ち行ける。
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デボーションや礼拝、各集会といつでも豊に御言葉を与えられるが、
何事かあるとすぐに、主はこう言われるが自分はこう思うと揺らぐ。
その時に祈ろう。御言葉が土台で主の言われることを実行できるよ
うに。