2015年05月24日(日) 「神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに下った」ルカ3:2
「神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに下った」ルカ3:2
神のことばが、荒野でヨハネに下ったとある。荒野とは、何もない 所だ。テレビも携帯もパソコンも無い。静寂が支配する場所だ。そ の静かな所で、神のことばが下った。私たちも、御言葉を受け取る ために、静かな場所は大切だ。気が散ることのない、主に集中でき る静かな場所で、御声に耳を傾ける時に、神のことばが下る。 環境的に、どうしても独りになれる、静かな時間と場所が難しい場 合もあるかも知れない。ある人は、そんな状況下で、通勤電車の中 を主との交わりの場とした。目を閉じ、じっと黙想し、祈りの時を 持った。その人の荒野とした。 又、ある人は、深夜帰宅、早朝出勤の激務だった。心身消耗し、自 分の時間も全く持てない状況だった。そんな中、昼休みに屋上に行 き、椅子に座り、じっと主に心を向け、交わりの時とした。恵みの 場とされた。そこがハードな期間の荒野だった。 子育てに大わらわで、自分の時間など持てない主婦が、余りにも庭 が草ぼうぼうで、草抜きをせざるを得ない状況になった。うんざり だったが、気持ちを切り替えて、主との交わりの時とする事にした。 御言葉を反すうしつつ、祈りながら草取りをしていると、悔い改め を与えられたり、ふとあの事はああすれば、この事はこうすれば良 いと、御霊の導きが与えられたり、感謝が湧いたり、庭がきれいに なった時には、心も喜びと平安で満ちた。主は難しい状況もわかっ て下さっている。求める者に、主との恵みの交わりを与えて下さる。 ・・・・・・・・・・・・ 主は、それぞれの環境や状況もご存じだ。独りになる場所が無いな ら、知恵を与え、状況を導き、何とかして下さる。まず交わりが持 てるよう求めよう。必ずふさわしく導いて下さる。そして平安と喜 びに満たして下さる。