2015年06月23日(火)

「ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです」ヘブル4:2


「聞き方に注意せよ」と言われている。イスラエルの民は皆、モー
セから神の言葉を聞いていた。しかし、聞いた言葉が「信仰によっ
て結びつけられ」なかったため、最後まで神を疑い、結局は、不信
仰によって荒野で滅ぼされてしまった。何のためにエジプトを出た
のかわからない。

モーセは、神の言葉を語った。聞く側に問題があった。信仰に結び
つける事が大切だ。種蒔きのたとえで、種は御言葉で、土地は心だ。
道ばたに落ちた種は、地が固く、心に入らず、サタンが来て御言葉
を奪い去った。先入観や偏見があると、妨げられて御言葉が入らな
い。又、他人事として聞く態度だ。自分の事として聞かないので、
右から左へと素通りする。

まるで目の前で映画でも観るように、傍観者として聞いていないだ
ろうか。御言葉は「自分に」向けられている言葉として受け取る必
要がある。それが「良い地」だ。必ず結実する。岩の上に落ちた種
とは、喜んで御言葉を受け入れるが、根が無い。根を張るのは地中
だ。隠れた神との関係を培う事が大切だ。人目に見えない神との交
わりの地道な生活が根だ。それが無いと枯れてしまう。

いばらの中の種は、外部から伸びたいばらにふさがれた。外部のも
のによって生長が妨げられる。世の様々な事柄に心が奪われ、いつ
しか神がおそろかになる。自分はどんな「聞き方」をしているか、
考えてみよう。御言葉が、心の土地に、信仰によって受け入れられ
る時に、豊かな実を結ぶ。
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御言葉と目の前の状況は大きな隔たりがあるだろうか。喜べない状
況、満足できない自分自身と。御言葉は何と言っているだろう。
「いつも主にあって喜びなさい」「あなたは高価で尊い」ではないか。