2015年07月24日(金) 「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい」ピリピ4:6
「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい」ピリピ4:6
主は、「何も思い煩わないで」と、「何も」「いっさい」心配する なと、言われる。ところが、生まれつきの性質は、何も心配しない などと、そんな事は考えられない、有り得ない、無責任ではないの か。そんな事でいいはずがないと思う。「自分で」ちゃんと問題に 対応し、処理しすべき、そのために、きちんと思い煩うべきではな いか。無意識にもそう思っていないだろうか。 これは肉の思いだ。この思いにだまされてはならない。思い煩う人 は、心の底を見ると、思い煩いが無いと不安で、わざわざ思い煩い を取って来る。思い煩っていれば安心なのだ。私たちは「肉に従っ て歩む責任はない」と言われている。主が、肉と同じかたちで十字 架につけられ、肉を処罰され、肉の責任をすべて受けて下さった。 肉はすでに解決済みであり、肉に従う理由も責任もいっさいない。 御霊の声だけに聞き従って歩めばよい。「何も」心配しなくてよい。 こんな自由があるだろうか。私たちには羊飼いがいる。私たちは羊 飼いではなく、羊だ。必要なものすべては、羊飼いが責任もって備 えて下さる。 食物のために草地に導き、危険があれば、羊飼いは命をかけて羊を 狼から守る。「神があなたのことを心配してくださるからです」神 が心配して下さるので、私たちは心配無用だ。私たちの責任は、主 について行くことであり、それだけだ。先は全く見えずとも、主が 先を見通しておられる。 ------------- 先の計画は立てても、それを心配し、思い煩う必要は無いと主が言 われている。自分のプラン通りに進まないことが不安なのだろうか。 今の不安を主に祈り、人知を超えた主の平安に変えていただこう。