2015年09月23日(水)

「ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです」ヘブル人4:2 




御言葉は、人の信仰を通して、初めて現実とされる。御言葉が物理
的に耳から入っても、信仰によって受け止められなければ、益にな
らない。イスラエルの民は皆、神から、約束の地カナンに導くとい
う御言葉を聞いていた。モーセを通して、沢山の奇跡を見た。又、
出エジプトの際には、パロの追っ手が迫り、絶体絶命の中、目の前
で、紅海が分かれるという偉大な奇跡を見た。

しかし、斥候が約束の地カナン偵察から戻った時に、ネガティブで、
不信仰な報告を聞いた。その時に、恐怖に襲われ、約束の地に入る
事を拒んだ。民は大声で叫び、泣き明かし、エジプトに帰ろうとま
で言い出した。何度も何度も聞いた、神の約束の言葉も何の益にも
ならなかった。信仰によって結びつけられなかったからだった。

彼らが約束の地に入れなかったのは、「不信仰」のためだった。そ
して、ヨシュアとカレブは、状況でなく、主に信頼を置き続けた結
果、約束の地に入った。神が語られた事は必ず成し遂げられる。約
束は実現する。神は真実な方だ。「信じた私たちは安息にはいるの
です」。

状況に飲み込まれそうになる自らの弱さも、主はご存じだ。弱さの
まま、主の御前に行こう。「あわれみを受け、また恵みをいただい
て、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づ
こう・・・」その時に、主は助けて、信仰を与えて下さる。
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御言葉を信じて行こうとすると信頼しきれない不信仰が来る。不信
仰に引っ張られると、ますます平安がない。何度も経験済みだ。
その弱さを主に差しだし、御言葉を信じ主の平安を歩もう。