2015年11月23日(月) 「主は地の果てまでも戦いをやめさせ、弓をへし折り、槍を断ち切り、戦車を火で焼かれた」詩篇46:8
「主は地の果てまでも戦いをやめさせ、弓をへし折り、槍を断ち切り、戦車を火で焼かれた」詩篇46:8
主は「やめよ。わたしこそ神であることを知れ」と。「やめよ」と は、人間の力、人間的な知恵、方策による、肉による様々な工作を やめよということだ。肉の知恵と力で戦うのではない。まさにその 肉こそが、神の働きを妨げ、神の栄光を奪う。その肉に死に、自分 に死んで、御霊に委ねて、御霊の支配と導きに従って行くのが信仰 生活だ。勝利は神から来る。 又、動くことをストップして、主の御前に静まることだ。「やめよ」 目に見えるものから目を離して、見えない神の御前に向かうことだ。 どうしても動き回る私たちは、ブレーキをかけないと止まらない。 しかしストップして、主に向かう時に、霊の目が開かれて、神に委 ねるようにと導かれて行く。神を神として行くようにということだ。 信仰生活で、色々な出来事が起こる。不安な事、思い煩う事、恐れ る事態、その時こそ「わたしこそ神であることを知れ」る時だ。自 分の力と思いで行動して行く時、神が神であることを、決して知る ことができない。人間的工作は止めて、目に見えない神の前に静ま り、信じて行く時に、初めて主こそが「わたしこそ神である」こと をる知る。 私たちは何かが起きると、まず動こうとする。自分で処理できると 思ってしまうからだ。しかし、幾ら動き回り、何とかしようとして も、神のタイミングでないと、何一つ動かない。「神はわれらの避 け所、力、そこにある助け」だ。必ず折りにかなった助けがあり、 奇跡がある。「主のみわざを見よ」だ。 ------------ 何かあると目の前の助けを求めて動き出したくなる。また知恵はフ ル稼働する。「やめよ」の主の御声に従おう。静まり、祈り主が共 にいてくださること、まず主にある平安に満たされよう。