2016年06月23日(木)

「ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです」ヘブル4:2





「聞き方に注意せよ」と言われている。イスラエルの民は皆、モー
セから神の言葉を聞いていた。約束の地へ導き入れられる事も聞い
ていた。しかし、聞いた言葉が「信仰によって結びつけられ」なか
ったため、最後まで神を疑い、いつもつぶやき、結局は、不信仰に
よって荒野で滅ぼされてしまった。何のためにエジプトを出たのか
わからない。

ヨシュアとカレブは同じ御言葉を聞いて、信仰に結びつけ、約束の
地へ入って行った。モーセは、神の言葉を語った。聞く側に問題が
あった。頭の知識としてだけで聞くのでなく、信仰に結びつける事
が大切だ。種蒔きのたとえで、種は御言葉で、土地は心だ道ばたに
落ちた種は、地が固く、心に入らず、サタンが来て御言葉を奪い去
った。先入観や偏見があると、御言葉が入らない。

又、他人事として聞く態度だ。自分の事として聞かないので、入ら
ない。まるで目の前で映画でも観るように、傍観者として聞いてい
ないだろうか。御言葉は「自分に」向けられている言葉として受け
取る必要がある。それが「良い地」だ。必ず結実する。岩の上に落
ちた種とは、感情的に喜んで受け入れるが、根が無い。根を張るの
は地中だ。隠れた神との関係を培う事が大切だ。

人目に見えない神との交わりの地道な生活が根だ。それが無いと枯
れてしまう。いばらの中の種は、いばらにふさがれた。外部のもの
によって生長が妨げられる。世の様々な事柄に心が奪われ、神がお
そろかになる。自分はどんな「聞き方」をしているか、考えてみよ
う。御言葉が、心の土地に、信仰によって受け入れられる時に、必
ず豊かな実を結ぶ。
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御言葉を信じていくとき主が関与してくださる様々なことを具体的
に知る。この経験が根となり命だ。すぐにいばらに囲まれやすい者
だが、御言葉を自分のものと引き寄せ、信仰を持って聞いていこう。