2016年08月24日(水)

「蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食 べてしまった」マタイ13:4

 

道ばたの心なら、カラスが種を取って行ってしまう。カラスは賢い。
食物を見つけると、真っ直ぐ狙いを定めて確保する。ゴミ袋の中で
もピンポイントで捜し出す。敵であるサタンも同様だ。非常に狡猾
で、聞いた御言葉が心に受け入れられないままなら、即、奪い去る。

心に蒔かれた御言葉の種が、芽ぶいて、深く根ざし、実を結ぶこと
をさせない。実を結ぶならどんなに主の栄光を現して行くだろう。
そのため御言葉をどんどん奪って行く。聞かなかった事と同じにな
ってしまう。

御言葉を心に受け取る事は大切だ。土の薄い岩地は、薄い土がある
ので、一応種は落ちる。キリストは素晴らしい、聖書は真理だ、信
仰は良いことと喜ぶのだが、日が上ると焼けて、根が無いために枯
れてしまう。つまりは喜んで受け入れるが、しばらくの間だけで、
信仰のための困難や迫害が起こると離れ去ってしまう。

主に従って行くには犠牲が必要だ。何も無い時は良いが、その犠牲
が必要になると、身を引いてしまう。そこまでして従って行く気は
ない。つまり、自分に都合の良い間はいいが、自分を変えてまでと
は思わない。土中に根深い自我がある。

逆に、犠牲を払い、御言葉に従って行く時に、この自我が砕かれて
行く。そして、どんどん土中深く根ざし、豊かな実を結んで行く。
今、目の前に従うべき事を示されているだろうか。祈って従おう。

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御言葉を聞いているので安心してしまうが、聞く時の態度が大切
だと言っている。自分に関係無いと聞くなら、どれだけ聞いても
心に入らない。すると御言葉を行ない、実を結ぶ事ができない。自
分の事として、御言葉に向き合って行く時に、主を知り実を結ぶ。