2016年10月24日(月)

「あなたがたは罪によって・・死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し・・」コロサイ2:13 



「私たちのすべての罪を赦し」、罪の赦しのための十字架であった。
妬みから、主を十字架につけて行った祭司長や律法学者たち。その
彼らから、たきつけられ、群集心理により、バラバでなくキリスト
を十字架につけよと、ピラトに迫った群衆たち。

証言も一致せず、主に罪が無いことがわかっていたのに、保身のた
め、みすみす十字架に送っていたピラト・・彼らは自分が何をして
いるのか、全く知らなかったわけでなく、ずる賢いやり方で、主を
殺そうとしたことをわかっていただろう。主を消し去ってしまいた
かった。

だが、真の意味で、彼らは自分たちがどんなに恐ろしい事をしてい
るのか、知らなかった。神の子を抹殺しようとしていたのだから。
しかし、そんな彼らのために、主は十字架上で、赦しを祈られた。
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分で
わからないのです」と。

ある人が、不用意な言葉で、人を傷つけてしまった。悪気は無かっ
たと弁解したが、しかし、自分の心は知っていた。相手が嫌いだっ
たので、傷つけたくてそうした事を。私たちも、数知れない罪を犯
して来た。狡猾な罪、恥ずかしい罪、陰険な罪、それらを赦すため
の十字架だ。

しかし、尚も自分でも気づいていない罪、罪の恐ろしさがわからな
い罪・・「彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」、
そんな罪をも赦されている。「すべての罪を赦し」、恵みを今一度
覚えよう。
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私たちは多くの罪を犯すが主が罪に勝利してくださった。十字架を
見上げ、罪赦されたことに感謝したい。罪の誘惑は生涯の戦いだが、
主により新しくされた者として主に導かれ歩める者でありたい。