2017年01月24日(火) 「賢い娘たちは、自分のともしびといっしょに、入れ物に油を入れて待っていた」マタイ25:4
「賢い娘たちは、自分のともしびといっしょに、入れ物に油を入れて待っていた」マタイ25:4
十人の娘が出て来る。花嫁の側の娘たちで、花嫁の家に、花婿が到 着するのを待っていた。だが花婿は思いのほか遅れて、夜中になっ た。十人とも眠ってしまった。すると突然、花婿到着の知らせが来 た。五人は自分のともしびと一緒に予備の油を用意していた。とこ ろが五人は用意していなかった。 もう今にも火が消えそうで、油を分けてくれと頼んだ。だが分ける ほども無いので、店で買うようにと。急ぎ買いに走り、戻ると、も う花婿到着で、祝宴の戸が閉じられ、入れなかった。明暗がはっき り分かれてしまった。賢い五人と愚かな五人のどこが違ったのか。 どちらも、ともしびを持ち、どちらもウトウト眠っていた。賢い五 人は居眠りしなかったのではない。 違いは、予備の油を持っていたかどうかだった。花婿は再臨のキリ スト、娘は私たち一人一人だ。油は聖霊で、その油は、上げたりも らったりが出来ない。不可能だ。上げれば良いのにと思いがちだが、 聖霊を分け与える事など出来ない。大切な事は、今日の生活を天に つなげたものとして、天に帰り、主にまみえる事を常に踏まえて生 きる事だ。 それはこの世にいる間、聖霊を求め、聖霊の満たしを求めて生きる 事であり、地道に日々主と交わり、主との関係を深めて行く事だ。 それが油を準備しておく事だ。自分と主との関係を、人からもらっ たり上げたりなど不可能だ。普段の生活において、そこにしっかり 目を留めていよう。天に帰るまで、地道に一日一日、主と交わって 行こう。 ------------ いつも張りつめていなくても、うとうとしていても霊の目は、主に 焦点の合った生き方をしていたい。足りない自分に気付くとそれが 感謝だ。日々主は豊に与えてくださる。