2017年05月24日(水)

「あなたは、どうして礼服を着ないで、ここに入って来たのですか」マタイ22:12


王が、王子の結婚披露宴を開いた。ところが招待していた客は、皆、
断って来た。神の事、永遠の事より、今の地上の事柄が大事で、心
を奪われてしまう。王や祝宴などより、畑、商売、この世の事が重
大事だ。そこで、王は、次に大通りで出会った者を皆、招くよう命
令した。

片っぱしから呼んで来たので、宴会場はいっぱいになった。しかし、
そこに婚礼の礼服を着ていない客が一人いた。王は怒って、外に放
り出した。道で、突然呼ばれるわけで、誰も礼服など持っていない。
だが、この礼服は、すべて主催者側で用意されていた。だから、放
り出された人は、王の礼服を、故意に意識して不要と拒否したこと
になる。

自分の服の方が上等だと思ったのかも知れない。彼は、町で招かれ、
招きは拒まず、やって来たのだが、王の前に出る「礼服」は拒んだ。
「招待される者は多いが、選ばれる者は少ない」この客のようだろ
うか。自分の服で、自分を着飾る。自分の功績、自分の力を捨てな
い。捨てたくない。自分の良い行ないで、義と認められようとする
事だ。

神の考えより、自分の考えを正しいとするなら、神を拒否する事で
あり、礼服を拒む事だ。王の礼服、義の衣、主キリストを着て、主
と一つとなり従って行こう。そして披露宴の大きな喜びと楽しみに
あずかろう。
--------------
どんなに美しく装っていても、神の用意してくださっている服を着
ないで祝福に与ることはできない。イエス・キリストを着なさいと
御言葉は度々警告してくださっている。主を身にまとい、主に着ら
れて歩もう。