2017年07月24日(月)

「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから」ルカ19:9


私たちにとって、幸せとはどういうものだろう。自分の思い通りに、
自分のしたい事をして生きるなら、幸せで、充実感があると思うだ
ろうか。人生が自分の願い通りになり、自分の好きなようにできれ
ば快適だと思う。しかし、それは勘違いだ。決してそうではない。

ザアカイは、富が自分を幸せにしてくれると信じ、富だけを目当て
に、取税人のトップにまで昇り詰めた。しかし富は決して幸せをも
たらしはしなかった。幾ら富が増しても、心の満たしは無かった。
罪を犯しているので、平安無く、心は暗かった。同胞から搾取して
いたので、同胞からも軽蔑され見下されていた。

富を求めて、取税人になったが、孤独な虚しい人生だった。背が低
くて、主が見えない。どうしても、何としてでも主に会いたいとの
心の渇きは、木にまで登る行為となった。この方なら、真に満たし
てくれるのでは。そんな彼に、主は「ザアカイ」と名を呼ばれた。
心の渇きを、主を求めるその心の底の思いを、主はご存じだ。慈し
んで受け止めて下さる。

ザアカイを断罪せず、裁かず、まず丸ごと受け入れられた。「あな
たの家に泊まる」ザアカイはどんなに驚き、嬉しかった事だろう。
こんな者の家に?ザアカイに心からの悔い改めが来て、救いが与え
られ、それは償いとなって具体的な形に表れた。主は求めに答えて
下さる。そして愛して下さっているので、目の前の一つ一つの悩み、
問題にも、救いを与えて下さる。
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心の乾きに気づけることが感謝だ。満たされない思いを持っている
ことを隠さずありのまま主に告げることが出来る。急いで降りて来
なさいと声をかけられたザアカイの喜びを私達も知っている。