2017年12月24日(日)

「御使いは・・マリヤに言った『おめでとう、恵まれた方、主があな たとともにおられます』」ルカ1:28



マリヤは、自分を主のはしためだと言った。奴隷とは、主人に絶対
服従だ。奴隷が、自分が納得したから、主人に従うだろうか。主人
を信じられるから従うだろうか。奴隷は、自分が理解できようが、
できまいが、納得しようがすまいが、主人の言う事に絶対的に従う。

マリヤは、突然の御使いの出現に、その言葉にひどく戸惑った。し
かし御使いに「どうしてそんな事が・・」と問い、御使いの説明を受
け、神に不可能は一つもないと言われた。すべて理解できたわけで
はないが、主が言われるのなら、従いますと応答した。「おことば
どおりにこの身に」と。

自分自身を主に明け渡した。自分の将来も、結婚の夢も、ヨセフも、
何もかもを主に委ねた。この後、どうなるか全くわからない。大変
な状況に直面するだろう。聖霊により妊るなどと、ヨセフが信じら
れるわけがない。家族、周囲の者はどう思うだろう。結婚前に妊る
など石打ちの刑だ。

様々な思いがよぎったろう。しかしマリヤは「この身に」と、自分
自身を差し出した。そしてその後、エリサベツに会いに行った時に、
神を喜びたたえ、人々も「私をしあわせ者と思うでしょう」と言っ
た。マリヤは喜びに満ち溢れた。

「主のはしため」とへりくだったマリヤを、大いなるわざのために
用いられた。私たちも御声に従う時に、恵まれた者であり、主がと
もにおられることを実感して生きて行ける。そこに真の喜びがある。

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見える所だけ見れば、マリヤは大変な状況だ。結婚していないのに
妊るなどと、命がけだ。しかしこれは神からの恵みで、喜ばしい事
だと。主を信じて自分自身を委ねた時に、マリヤはその通りに計り
知れない大きな恵みにあずかる者とされた。