2019年01月24日(木)

「互いの栄誉は受けても、唯一の神からの栄誉を求めないあなたがたは、どうして信じることができますか」ヨハネ5:44



私たちは心の奥に、人に認められたい、ほめられたい欲求がある。
小さな子供は母親に「見て見て」としょっ中訴える。私たちの、人
からの賞賛の欲求は根強いものがある。そのため人の評価を得られ
ない時、大きなつまずきとなり、ストレスとなる。この所に悪魔は
巧妙に働いて来る。荒野で、悪魔は神殿の頂から身を投げよと、主
を誘惑した。

劇的に御使いが助け、皆の前で素晴らしいヒーローになれると。世
界の注目の的になり、人気を博した上で、人々を救えばいいじゃな
いかと。群衆は大喝采だと。人々から注目を浴びる快感は大きな誘
惑だ。誰しも、人の前で良い格好したいし、賞賛を受けたい。主に
も来た誘惑だ。私たちの心に、悪魔のこの誘惑が来た時に、御霊の
気づきが与えられるよう祈っていよう。

人の評価に目が奪われると、神の歓心より人の歓心を得ようとして
しまう。そこに虚栄、プライド、優越感や劣等感がむくむくと姿を
現わす。そして常に人が気になって仕方が無い。主から目を離すと
「比較」の中で、人との差異でしか自分を量れないので、人が基準
にならざるを得ない。劣等感と優越感に捕らわれてしまう。

主に焦点を合わせる時、それから解放され自由にされる。私たちは、
世界中で、ただ一人かのように愛されている。主に慈しまれ、絶え
ず目が注がれている。主の愛の中で生きて行ける。まず、人の賞賛
を求めている自分に、気づくことから始まる。
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人の評価に焦点を合わせると自分の足らないところばかり気になる
が、主に焦点を合わせれば感謝の祈りに導かれる。見るべきところ
を見ていよう。主の御言葉の約束と主ご自身を仰ぎ歩もう。