2019年08月24日(土)

「あなたがたは、私たちから神の使信のことばを受けたとき、それ を人間のことばとしてではなく、事実どおりに神のことばとして受 け入れてくれたからです」Tテサロニケ2:13


パウロは、テサロニケで迫害に会い、そこを逃れ、アテネからコリ
ントへと向かい、コリントにいた時に、迫害を受けている人々に、
テサロニケ人への手紙を書いた。当時、コリントの教会は堕落と混
乱の中にあった。不品行がはびこり、性的に堕落していた。父の妻
を妻にしている者がいたりした。罪がおおっぴらに行われていた。

又、妬みや争いがあり、救われているにかかわらず、肉に属し、た
だの人のように歩んでいる状態だった。テサロニケの人々とどこが
違ったのか。種蒔きの譬えにある。種である御言葉が、地中深く埋
まる時、つまり私の心が開かれていて、御言葉をしっかり受け止め
る時に豊かな実を結ぶ。種である御言葉と私たちの心である土地が
合致し、しっかり受け入れられる時に実を結ぶ。

強い偏見や、又、他人事に聞いていると右から左へと抜けて入らな
い。又、岩のごとき自我が心にあり、根ざさせ無い。御言葉より自
分の思いの方が良いと思ってしまう。又、茨が生えて来て、伸びよ
うとする芽をふさぐ。神より大事なものを握りしめて、御言葉がわ
からないようになる。

テサロニケの人々は、神の言葉として、しっかり受け止めた。その
時、御言葉を信じたいとの思いでいる私たちの内に働く。御言葉の
受け入れ方にかかっている。聞いている「つもり」では。聞いてい
ないので、祈って御霊の助けを仰ごう。

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御言葉は霊であり、いのちだ。御言葉を信仰持って受け入れる時に、
それはいのちとなり、そこに主が働かれる。だから御言葉によって、
苦しみ悩みの様々な状況の中で、救いを得る。必ず自分が変えられ
て行く。聞き流していないか、どのように聞いているか、今一度心
探ってみよう。