2019年10月24日(木)

「主はその母親を見てかわいそうに思い、『泣かなくてもよい。』と言われた」ルカ7:13



夫を亡くした女性が出て来る。女手一つで子供を育て、大変な苦労
だったであろう。一人息子がいて、唯一の支え、喜び、力、生きが
いであった。青年となり、頼もしく思い、支えられていたであろう、
そのたった一人の息子が亡くなってしまった。彼女にとって最愛の
息子であり、命そのものであった息子を失ってしまった、その心の
張り裂けるような悲しみ、嘆きはいかばかりだったろう。

泣いて泣いて泣き叫んでいたであろう。その悲しみを知る町の人た
ちが何とか慰めようと、大勢が彼女に付き添っていた。主はこの母
親を見て、かわいそうに思われた。主は、その心をご存じであった。
“かわいそうに思い”は、気の毒に思う程度ではなく、腹わた痛み、
腹の底から揺さぶられほどの激しく強い思いだ。

「泣かなくてもよい」と、息子を生き返らせて下さった。主の深い
あわれみだった。ここでは、母親が主に助けを求めたのではない、
主の方から声をかけ、一方的に癒された。「かわいそうに思い」に
突き動かされてであった。私たちにも、主のこのあわれみが向けら
れている。

悲嘆に暮れる時、主は、腹の底から激しくかわいそうに思っていて
下さる。何という慰めだろう。ご自分の痛みとして感じ、深いあわ
れみをもって抱いて下さる。この主に心を向けて、心開いて行く時、
主は心をいやして行って下さる。
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何かを失った悲しみや犯してしまった罪に悔いる心に主はいつも
「泣かなくてよい」と寄り添ってくださる。主のあわれみは尽きな
い。この主のあわれみに今日も支えられている。