2020年02月22日(土) 「主はレアがきらわれているのをご覧になって、彼女の胎を開かれ た。しかしラケルは不妊の女であった」創世記29:31
「主はレアがきらわれているのをご覧になって、彼女の胎を開かれ た。しかしラケルは不妊の女であった」創世記29:31
レアとラケルは姉妹であり共にヤコブの妻であった。ヤコブは妹ラ ケルを愛していたため、姉のレアはずっとラケルとの比較の中で、 劣等感に生きていた。レアは満たされない辛い立場にいた。主はレ アを憐れまれ、レアは子供を産んだ。「ルベン」と名づけ、「主が 悩みをご覧になった」と言った。子供により、今こそ夫は自分を愛 すると思った。しかしそうならなかった。 第二子のシメオンは「主は私が嫌われているのを聞かれて」とレア が主に祈った結果だった。今度こそは、夫から愛をもらえると思っ たが、そうではなかった。更に次も、夫の愛を期待したが、裏切ら れた。そして次々子供を産み、最後はユダ「主をほめたたえよう」 と名づけた。辛い境遇の中で、レアは変えられて行った。 これまでずっとラケルとの比較で劣等感にさいなまれ、夫の愛が得 られない事で苦しんで来た。しかし主を仰いだ時に心が変えられた。 夫の愛を求めるのでなく、ただ主をほめたたえた。女奴隷が産んだ 時は、アシュルと名づけ、レアは「何と幸せな事。女たちは、私を 幸せ者と呼ぶ」と言った。レアは日陰で生きて来て、切なる思いも 遂げられない、辛い、不幸な、寂しい状況だ。 その中で、レアは目を主に向けて行った。主の愛を、憐れみを拠り 所として行った。そんなレアに主は目を留め、愛し、不幸な境遇を 通してご自身に近づけられた。レアは喜びを得た。私たちも苦しみ により神に近づけられる。その中で、主の愛、慈しみを体験する。 悩みは、私たちを神に近づけてくれる。 ・・・・・・・・・・・ レアは、どんなにヤコブの愛情を求め、求め続けても、決して得ら れなかった。しかしその事により、ヤコブから主に、目が転じられ て行った。その結果、人の愛に優る、素晴らしい主の愛を見い出し 心に真の幸せが与えられた。悩みは私たちを主のもとへ連れて行っ てくれる。