2020年03月24日(火)

「私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので・・」ローマ12:7



その前の節に、「思うべき限度を超えて思い上がってはいけない」
とあり、続いて「分け与えられた信仰の量りに応じて、慎み深い考
え方をするように」とある。「思い上がる」というと、偉そうに、
いばって人を見下したような姿を思い浮かべるが、ここによると、
思うべき限度を越えた態度だと。そして信仰の量りに応じて慎み深
い考え方をしないことになる。

それが高慢で、不健全な態度だと。本当の慎み深い考え方とは、そ
れぞれに与えられた霊的賜物を用いて、主と人々に仕えて行くこと
だと。つまり「慎み深い考え方」は、「いえいえ、自分などはダメ
で、何もできない」と卑下して考える事ではなく、自分に与えられ
た賜物が、主から与えられたものと感謝して受け取り、それを主の
ために、人々のために用いて行くことだ。そこに豊かな祝福がある。

又、私たちは、「信仰の量り」によって、物事を見て行く。人間的
に、肉の判断で、この世の価値観で見るのでなく、御言葉を鏡とし
て、自分を見、御言葉に照らし出して、物事を見て行く。この世で
は、内側は見えず、外側しか見えないので、その外側を良く見せよ
うとひたすら繕って行く。人にどう見られるかが重要だ。

しかし信仰による考え方は、見えない内側も正直に、ありのまま認
めて、主に委ねて行く。「愛せません」「信じる事ができません」
「従う事が難しいです」・・その時、そのままの自分が受け入れら
れ、愛されていることを実感として知る。そして出来るようにされ
ることを経験して行く。
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人の評価によって高ぶったり落ち込んだり。自分の勝手な物差しは
無用だと教えられる。信仰の量りは、人にも自分にも誠実に向き合
うようにさせられる。自然に慎み深くさせらていく。