2020年07月24日(金)

「そこで、ろばの子をイエスのところへ引いて行って、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた」マルコ11:7



主が弟子たちに、向こうの村へ行き、誰も乗ったことのないろばの
子をほどいて連れて来るようにと、言われた。「主がお入用なので
す」と。当時、ろばというのは、へりくだり、謙遜や柔和の象徴と
されていた。主は、このろばの子に乗って、エルサレム入場をされ
た。立派な力のある軍馬でなく、無力で、何の経験も無い、弱いろ
ばの子を用いられた。

私たちは弱く、力が無く、何の経験も無くても構わない。私たちは
ろばであり、主が乗られるのであり、主をお乗せするだけだ。乗っ
ていただけるとは、何と光栄なことだろう。主が用いて下さるのだ。
ある人が、どう考えても自分には力不足である働きを依頼された。
能力的に無理で、労力、時間的にも難しいと思えた。

祈りに祈った時に、「主がお入り用なのです」と語られ、軍馬でな
く、ろばの子を用いられる、弱い、無力な者をと励まされた。信仰
により、受諾した時に「イエスはそれに乗られた」と自分でなく、
主が、自分に乗って成し遂げて下さると励まされ、力を受けた。
「ほどいて」連れて来なさい。

自分の好み、自分のしたい事、自分の思い、望、又、名誉、地位、
富への執着、人から賞賛を得たい欲、それらからほどかれ、解かれ
て、主のもとへ行こう。主が乗って下さって、用いて下さる。主に
用いて頂けるとは何という喜びだろう。「主がお入り用なのです」、
あなたにも語られていないだろうか。「イエスはそれに乗られた」。
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自分のしたい事は、出来る事は、と考えていくといつも力不足で息
苦しくなる。主に生かされ、主に用いられるとの信仰の目で見てい
くなら、思いもよらない発見や新しい希望が拡がってくる。