2020年08月24日(月) 「『主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください』イエスは、『来なさい』と言われた」マタイ14:28
「『主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください』イエスは、『来なさい』と言われた」マタイ14:28
ペテロは、湖上で、主の「来なさい」との言葉を受けて、湖の上を 歩き出した。「来なさい」の言葉に従い、行動すると、水の上を歩 くという驚くべき奇跡がなされた。ところが風がヒューと吹いて、 風と波を見て、主から目を離した途端、恐れで、ブクブクと沈み始 めた。全く同じ状況の中で、見つめる対象が違っただけで、歩けた り、沈んだりした。 私たちも普段の信仰生活で、具体的に経験する事だ。主イエスを見 て、御言葉にとどまっている時、御言葉が心にしっかりある時は、 どんな苦しい状況の中でも、信仰があり、主の平安があるので、歩 んで行ける。しかし、主から、御言葉から目を離した途端、真っ暗 な状況に、辛い状況に飲み込まれてしまい、信仰が機能しない。 不安と思い煩いと落胆の大波にさらわれ、ブクブク沈んでしまう。 主イエスか、波風か、どちらを見ているかで喜びと平安で歩けたり、 心が真っ暗になり沈んだりする。毎日の生活の中でこの明暗が起き ている。真っ暗な状況を見ているだけでは、信仰は起こらない。ま すます落ち込むばかりだ。 御言葉を握り、主を見上げる時、信仰が湧いて来る。霊の喜びが来 る。主が信仰の創始者であるので、主を見つめる時、信仰が来る。自 分 で頑張って、信じよう、信じようとするのでなく、語って下さっ た御言葉、約束の御言葉にとどまる時、主によって信仰が与えられる。 ------------ 主を見つめている目は、すぐに目に見える出来事に捕らわれてしまう。 目に見えるものにしがみつきそうになる時は、すぐに主を呼ぼう。 御言葉を握って、ひとつひとつ波風を越えていこう。