2021年04月23日(金)

「神はバラムに言われた『あなたは彼らといっしょに行ってはなら ない。またその民をのろってもいけない。その民は祝福されている からだ』」民数記22:12



バラムは、モアブ王バラクに、イスラエルを呪うようにと頼まれた。
その時、バラムは神の御心がはっきりと告げられた。彼らと一緒に
行ってはならない、呪ってもいけない。その民は祝福されているか
らと。主の答えだった。しかし更なる使いが来た。その時に、バラ
ムは「主が、私に何かほかのことをお告げになるかどうか確かめま
しょう」との態度だった。

御心は、すでにはっきりしているのに、それ以上何を確かめる事が
あろう。次には、従うことがあるだけだ。示された事を実行する事
が御心であり、求められている事だ。だが、私達も同様の事をして
いないだろうか。結局のところ、神の御心というのは建前で、自分
の思い通りの事を、都合の良い事を言って欲しい。求めているのは
その事だ。

ある人が、ありとあらゆる偶像を巡りに巡った。自分の求めている
答えを得るまで、拝み屋を次々と回り歩いた。その人は答えがすで
に決まっていて、承認印が欲しい。私達もしばしば、導きを求めて
いるのでなく、承認を求めている。自分の思い、自分のしたい事は
すでに決まっていて、どうしても遂げたい。

御霊は、気づきを与えて下さる。あなたも御心を示されているのに、
尚も祈っている状態だろうか。行動に移したくないので、ぐずぐず
しているだろうか。その示された事柄に、信仰もって従おう。その
一歩に従うと、次に展開がある。まず目の前の御心に従う事が大切
だ。

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バラムは、本音は行きたかったので、他の事をお告げになるか再度
聞こうとした。主の御心どうのでなく、自分に都合の良い答えが欲
しい。又、御心が示されているのに、ぐずぐずする。自分の内にも
ある肉に、気づける事が感謝だ。主に助けを求める事ができる。