2021年06月23日(水)

「あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます」マタイ6:4



主は、人前で善行をするなと言われ、右手のしている事を左手に知
られないようにと言われた。施しは隠れているように。自分の善行
を人に知られてはならないと。なぜなら、天での報いが受けられな
いからと。だが同時に、あなたの光を人々の前に輝かせ、人々があ
なたの良い行ないを見て、天の父を崇めるようにせよと言われた。

一見、矛盾するように見えるが、これは動機がどうかだ。自分が誉
れを受け、自分の栄光のために、自分を喜ばせるために、している
のか。それとも主の栄光のため、主を喜ばせるためにしているのか。
自分の利得のための善行なら偽善という事になる。主はパリサイ人
の偽善を、人の前で自分を正しいとする者だと言われた。

しかし神は、心をご存じで、人間の間であがめられる者は、神の前
で憎まれ、嫌われると。人の前で、人の賞賛を求めて生きるのでな
く、主の御前で、絶えず主の目を意識して生きるようにと言われて
いる。目に見えるこの世は、凄まじい影響力があり、目に見えない
神よりも、目に見えるところで生きてしまう。

見えない神の愛より、目に見える人の愛や、人からの評価を求めて
しまう。肉の性質があり、サタンの強い誘惑がある。目に見えない
神を信じて生きる事は、信仰によるのであり、御霊の助けによる。
しかし、そこには主からの豊かな報いがあり、真の喜びと平安を経
験して行く。
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人から良く思われるためにする行為は疲れて終わる。神からの報い
を第一に求めていこう。今、十分に報われなくても、神が全てをご
存知だ。神の喜ばれることに焦点をあてよう。