2022年05月24日(火)

「神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。『立ち 返って静かにすれば、あなたがたは救われ・・』」イザヤ30:15



ある人に突如の大きな問題が起きた。大変な事になったと、パニッ
クだ。いつも学んでいるように、まず祈らなければと祈るのだが、
祈っている最中も「どうしよう〃、どうすれば良いか」と頭はぐる
ぐると思いが巡り、方策を懸命に考えている。これは祈りではな
い。

だが祈ろうとするのだが、あれこれと思いが来て、思いを巡らすば
かりだ。自分が前に出てしまい、自分で何とかしようとしている。
そのため平安など全く無く、不安で〃たまらない。段々「こうなっ
たら、ああなったら」と最悪のシナリオが、どんどん浮かんで来
る。

ますます心は暗くなり、思い煩いでいっぱいだ。恐れと不安にさい
なまれ、余りにも苦しくてたまらず、主に叫び祈った。その時「や
めよ。わたしこそ神であることを知れ」「立ち返って静かにすれ
ば、
あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を
得る」と語られた。

そして自分は、その後の「しかし、あなたがたは、これを好まなか
った」「あなたがたがは言った。『いや、私たちは馬に乗って逃げ
よう』」の者だと。自分で何とかしようとしている姿を見せられ
た。
そのため、焦り、恐れ、不安しかない。

「やめよ、静まれ、わたしに信頼せよ」と言われる。問題に飲み込
まれ、問題しか見えず、神が見えていなかった。口先で祈り、自分
が動き回っていた。主に問題を持って行くようにされ、不安しか無
かった心に、初めて安堵が来た。
--------------
すぐに自分の望む結果が来ないことが不安なのではないだろうか。
あれこれ考えるより主の最善を信頼できるように祈りたい。心配
し、
不安定な心を主の平安で満たそう。