2022年09月23日(金)

「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み・・ あなたがたをこの所に帰らせる」エレミヤ29:10



バビロン捕囚は、敵国への囚われとなるわけで、その事態だけを見
れば絶望でしか無かった。しかし結果的には、神の民はその捕囚の
苦難により、悔い改め、神に立ち返る事ができ、信仰の回復がなさ
れた。70年後にエルサレムに帰還させるとの、神の約束も成就され
た。

「あなたがたのために立てている計画」と言われたが、バビロン補
囚こそが「神の計画」だ。見えるところは絶望、挫折、落胆、混乱
であったが、神にとっては平安と将来と希望のための計画であっ
た。ししゅうの裏は、沢山の糸がからみ、ぐじゃぐじゃだ。神は、
私たちにとっては不都合、混乱、行き詰まり、「何でこんな事
が?」の事態を起こされ、神の意図される方向へと導かれる。

そしてそれは、紛れもなく「あなたのため」の計画だと言われる。
綿密に図って立てられた、あなたの益と将来のための出来事だと。
刺しゅうの表は、着々と綺麗な模様が完成して行っている。見える
ところの目の前の事は痛い、苦しい事態だが、実はあなたのための
最善がなされている。人は、痛い、辛い所を通って初めて、真に神
に出会う。

人は自我の強固な殻におおわれている。痛みや苦しみによって、そ
の自我の殻が砕かれる。高慢は自分でわからず、認識できず、何の
問題も無いと思っている。だが、苦しみの中で初めて、自分の本当
の姿を知る。何を教えて下さりたいのか、主に祈ろう。主のお心に
触れる時、まさに懲らしめが愛であることがわかる。そして心に平
安が臨む。
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固い自我が砕かれる時は弱く醜い裸の自分が示される。辛い時だが
主の導きも慰めも染み込んでくる。主の最善を歩んでいる事を信
じ、主から学び続けよう。