2023年05月24日(水)

「誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃 えていても、肉体は弱いのです。」マタイ26:4



ペテロは、弟子たち皆が、主を裏切っても自分は違う。自分は決し
て裏切らないと言い切った。「私は」命をかけても、どこまでもつ
いて行く。「私は」あなたを知らないなどと言わない。「私は」何
があろうと大丈夫。ペテロは自分を知らず、自分の弱さを知らなか
った。自分に自信があり、自信満々であった。「自分は」他の弟子
たちとは違う、そこに高慢が潜んでいた。

「シモン眠っているのか、まだ眠っているのか」との主の言葉の通
り、ゲッセマネで、主が祈りの苦闘中に、眠り込んでいた。主はご
自分の姿を、心の内を弟子たちの前にさらけ出され「わたしは悲し
みのあまり死ぬほどです。ここを離れないで目をさましていなさ
い」と、弟子たちが一緒に祈ることを願われた。

ご自分の弱さを認め、御父に拠り頼み、すべてを祈りに持って行か
れた。弱さを認めた、祈りの苦闘の中で、祈り抜いて勝利され、十
字架へと立ち上がられた。「立ちなさい。さあ行くのです」と、十
字架に向かって真っ直ぐに歩み出された。主とペテロの違いは、ペ
テロは自分の弱さを知らなかった。弱さの自覚がないため、祈りが
無かった。祈っていなかった。

主は弱さを自覚されたからこそ、切に祈られた。眠気が問題なので
なく、自らの弱さを知らない事が致命傷だった。弱さを認めなけれ
ば、祈りの必要性がわからない。自分の弱さは見たくないし、認め
たくない。しかし、自らの弱さを認めてこそ、初めて主に拠りすが
り、祈ることができる。
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心は燃えていても肉体は弱く、誘惑に陥りやすい。祈りの備えなし
には一日も歩めない者だ。自分の弱さをしっかりと認め、主に頼ら
なければ倒れてしまう。今日も祈り主について行こう。