2024年04月23日(火) 「しかし今、子どもは死んでしまった・・あの子をもう一度、呼び戻 せるであろうか。私はあの子のところに行くだろうが、あの子は私 のところに戻っては来ない。」Uサムエル12:23
「しかし今、子どもは死んでしまった・・あの子をもう一度、呼び戻 せるであろうか。私はあの子のところに行くだろうが、あの子は私 のところに戻っては来ない。」Uサムエル12:23
主から愛され選ばれたダビデだったが、バテシバとの姦淫の罪を犯 してしまった。そこで悔い改めれば良かったのだが、その罪を隠ぺ いしようとし、更にバテシバの夫ウリヤ殺害の罪を重ねてしまっ た。王であり、トップだ。物を言える者など誰もいない。だが主 が、預言者ナタンを遣わされた。ナタンの罪の指摘に、ダビデは罪 を認めて告白した。 「私は・・罪を犯した」。王が、罪を認めるなど大きな事だ。主はそ の罪を赦された。罪は完全に赦されるが、しかし罪には刈り取りが ある。蒔いたものは必ず刈り取る。「あなたに生まれた子は必ず死 ぬ」と言われ、刈り取りだった。するとバテシバが、ダビデに産ん だ子が病気になった。ダビデは切に祈り、断食し、一晩中地に伏し た。子のいやしを祈りに祈った。 しかし叶わず、その子は死んでしまった。それを聞いた時、ダビデ はどうだったろう。混乱し、嘆き、怒り、わめき、主を責めただろ うか。そうでなく、何と、起きて身体を洗い、身に油を塗り着替 え、宮へ入り礼拝したのだった。主の御名を崇めた。ダビデは切に 願ったが、それが叶わなかった時に、その事を受け入れた。 願わなかったのでなく、切に願った。心底主に祈り、交わったから こそ、それを受け入れる事ができると教えられる。今、厳しい状況 だろうか。あるがまま受け止めて下さる主に、心の内を告げ、苦し いならそのままを打ち明けよう。その時、どうであれ、主との交わ りの中で、主の御心を受け止めて行ける。 ------------ 祈ったが結果は叶わなかった。ダビデのようには出来ないが、主の 赦しを受け止めるように、その刈り取りも主からのものと受け止め たい。委ねられない思いを祈っていこう。